MAP進捗状況

2002年9月22日
そうそう、昨日大使館から面接日決定のお知らせ文書が郵送で届きました。
希望日を書いて面接の申込書をファックスしたのが火曜日、思ったよりはやく連絡がきたのでビックリ。肝心の面接日は希望より1週間より遅かったけど、希望通りにはいかないことを予想していたので、これもある意味では計画通り。

ビザ取得計画、すべてが順調に行ってます。面接で問題がないとvisaは即日発行、そうすると申請から1ヶ月以内のスピード取得ということに。ああ、最後までどうか順調に行きますように。。。  
今日は地元にいる親友・Yちゃんがうちにきました。
彼女とは幼稚園から高校まで一緒。大学はYちゃんは地元の国立大学、私は横浜の私立と別れ、就職も彼女は地元で(高校の英語の先生)、私は東京でしましたが、お互い連絡を絶つことなくその友情はずーっと続いてます。

私が実家に戻ってきたときの二人の恒例はアフタヌーン・ティー(正確にはクリーム・ティーでが)。焼きたてのスコーンと美味しい紅茶を肴にわたしの部屋でふたりで喋りまくり。時々はランチタイムを挟んでドライブ、というパターンもあります。

今日はおしゃべりの肴の趣向を変え、手作り濃厚NYチーズケーキと濃いコーヒー。自分で言うのもなんですが、私の作るNYチーズケーキは美味いです。自分で自分のことを誉めるのはあまり好きではありませんが、それでも誉めちゃいます。今日はこのNYチーズケーキに、はやり手作りのイチゴソースを添えて賞味。うーん、バチがあたりそうなぐらい美味しかった、、、。

Yちゃんは、先月から彼女の学校にやってきたALT新人ののM君の教育でストレスたまりまくってた。M君、かなり問題児みたいです。 素行が悪いのではなく、自分のALTとしての役割を理解してない、また理解しようとしないことがかなり他の英語の先生の授業の進捗に影響を及ぼしているようです。

まあ、わたしはM君を知らないので話をきいてあげることぐらいしかできませんでしたが、それでも彼に対する不平・不満をしゃべりまくってそのうっぷんが晴れたみたいでした。 話すだけでも楽になることあるもんね。よかった。 

明日はYちゃんと新しくなった県立プールへ行くことにしたのですが、やばい、水着がみつからない!そういえば、今年の3月にアメリカに引っ越すときに着そうな水着は持ってって、あとは全部処分してしまったような、、、。 もう一回よーく探してみなくては。

着々と、、、

2002年9月18日
今日はお役所めぐりの第2弾かつ最終。
先週の木曜に申請した警察証明、パスポートの記載事項変更、新戸籍がすべてできあがったのでこれらをピックアップ。 

警察証明は封がされており開封してはいけないのですが、「はい、これね。 ごぐろうさま。あ、こごさ受け取りの名前っこ書いでいって。」というやりとりであっさりくれたということはまー、犯罪はみつからなかったのでしょう。 私の指紋が未解決の事件現場から採取されたものと一致してたら、証明書くれるまえに容疑者として身柄を確保されているだろうし(笑)。

パスポートは追記の欄に旦那の名字も記載してもらいました。
今回一番手際の悪い対応をしてくれたのが、ここ、県庁のパスポート課(?)でした。確かに田舎の県で、外国人との婚姻によるパスポートの氏名変更という申し出は毎日あることではなく、単純な新規・更新の手続きに比べたらイレギュラーなことではありますがね。それにしても職員が変更届出用紙の記入の仕方もはっきりと指示できないわ、届出用紙に添付して提出する書類もなんなのか知らないわ、というのはいかがなものかと思います。しかも自分たちの手際の悪さをこちらへの対応を横柄にすることで隠そうとする。最悪。もしここでまたパスポートを発給してもらうとすれば多分8年後、そのときまでにはもっとまともな対応が出来るようになっていることを願います(か、職員総入れ替え)。

Dとの婚姻事実を記載した新しい戸籍もできあがり、この謄本も2部ほど入手してきました。外国人の名前はカタカナ表記になるので、それゆえちょっと実際とは違ったヨミになっているのにガックリきたけど。

でもこれで地元での手続きも全部終了、あとは大使館からの面接日のお知らせを待つのみ。面接は早くても10月に入ってからだと思うので(こちらからも10月第一週目の希望をだした)今度はそれまで歯医者通い。アメリカでは歯の保険には入っていないので、戻る前に日本で治療していかなくちゃ。健保に扶養家族として加入させてくれてる両親に感謝です。 

別居?

2002年9月16日
水曜日に実家に戻ってきて以来、観光・温泉めり・役所手続き・親戚廻り・飲み会で超過密スケジュール、かなり疲れました。 Dはそれに加えて風邪を引いてしまったのでもっと辛かったのでは、と思います。 とりあえず彼は一足先に今日のフライトでアメリカに戻りました。 しばしの別居、うーん、寂しい。。。

昨日までの行動のSummeryは以下;

【木曜】
朝5:30起床で温泉へ。 眠いけど朝一の温泉はむちゃくちゃ気持ちいいです。
昼間はお役所めぐり。市役所に婚姻届け、県庁でパスポートの記載事項変更(Dの名字を追記してもらう)をしました。外国人との婚姻は珍しい田舎、窓口の人のあわてふためく様子がおかしかったりして(失礼)。市役所では記入するフォームを違うのを渡されたり、県庁では「どうすればいいんでしょう?」と逆にきかれたりしましたが、なんとか手続きは終了しました。

そして県警で無犯罪証明書の申請。 こちらはわりとスムーズにいきました。 10指の指紋をとらてるときは「犯罪を犯した覚えはない」、と確信しつつもちょっとドキドキ。証明書は1週間ぐらいでできるとか。やっぱりまだドキドキしてます。ちゃんと「犯罪歴なし」と書かれた証明をみるまでおさまりそうにありません(笑)。

夜はDと私の母のいとこのテッちゃん、母の店の常連客のコウちゃん、母、わたしで母のお店で大盛りあがり。 Dは記憶ふっとびモード、テッちゃんは帰らずにうちにお泊まり、コウちゃんは雨の中自転車で帰っていったけど酔いをさますのにはかえってよかったかも。楽しい夜でした。

【金曜】
午前中Dは爆睡。
午後から観光がてらドライブ、途中またまた温泉により一休み。極楽です。しかし夕方になって二人とも疲労と眠気におそわれ、また次の日も朝5時半起床だったので途中のラーメン屋で早めのラーメン夕食をとり帰宅。その後、数週間後の大使館との面接で必要な書類を一緒にチェックし、夜10時前には就寝。

【土曜】
朝5:30起床、うちから車で1時間半ぐらい南下したところにある町で開かれる民謡大会にゲスト出演する父の応援に行きました。 8:45AMからの開会式のあと、父が唄うお昼ごろまで時間があったので、わたしとDは調べをつけておいたこの町の温泉へ行ってきました。三日間連続の温泉でDはかなり満足してた様子です。民謡大会のが予定より早く進行していたようで父の出番が早まり、「はやぐ戻ってこねばだめだー」という母からの携帯コールをうけ会場にぶっとんで戻ったらちょうど父が唄いはじめたときでした。 お父ちゃん、かっこよかったよ。

わたしとDは父の出番が終わったところで、昨日の観光兼ドライブの続きをしながら帰宅の途に。日本海沿いのドライブ、お土産屋とショッピングセンターに数カ所立ち寄り、Dに会いたがってた親戚宅にもお邪魔した後、夕飯どうしようかと話してたときに母からコール、うちの近所に1年ぐらい前にできたショッピングセンターと同じ敷地にある回転寿司で今夜は食べようということになりました。 

で、Dが回転寿司店で座るやいなやビデオを撮りたがりました。 回っている寿司は今時アメリカにもあるし珍しくはないだろうに、、、と思いつつ、まあ撮りたいなら撮ればーと言ったら、、、いきなりビデオカメラを寿司のお皿がのってるベルトコンベアーに乗せたではありませんか! しかもレンズは食べてるお客サン向き。 つまり、ベルトコンベアーでビデオカメラを一周運んでもらい食べているお客サンとお店の様子を撮りたかったらしい。 な、なかなか面白い発想だけど、、、(汗) そこまでするにはお店の人の了解も必要だろうし、また他のお客サンにイヤがられるかもしれないので、Dには諦めてもらいました。

寿司屋の後、一旦うちに戻り、今度はテッちゃんちへ。彼のバンドの仲間もきており彼らも交えてしばし談笑。 テッちゃんとバンドのリーダーさんは11月にサンフランシスコに遊びに来る予定なのでその打ち合わせもちょこっと。話しも盛りあがってきてちょっとお酒も入り始めたので(飲んだのはDのみ)席をはずしがたかったけど、明日も朝は早いということで、ほどほどにして帰宅。

【日曜】
朝5時起床。
朝一の飛行機で羽田へ行き、その日の午後のフライトでサンフランシスコに戻るDを秋田空港までお見送り。 わたしは一人日本に残りこれから大使館との面接、東京に残しているアパート(又貸し中)の解約をしなければならないので、ちょっとの間離れ離れです。一日も早くこれらを終わらせなくちゃ。 自分を育ててくれた家族のそばにいるのはほっとしますが、自分の伴侶と離れているのは寂しいと思う気持ちの方が強いです。 日本にいる家族もとても大切だけど、やっぱりこれからの人生を一緒にすごすパートナーのもとに帰りたい、と思っている自分を発見して安心しました。

Tokyo Night Out

2002年9月11日
眠い、、、。
昨日は長い一日でした。

レポートは後ほど。

第一段階クリア

2002年9月10日
おととい予定通り日本到着!
もうそんなに暑くない。 けど到着してからずっと曇りか雨、湿気むんむんです。

昨日のビザ申請はビックリするぐらいにスムーズに行き、なんとすべて終わるのに55分しかかかりませんでした。 ま、これはまだ第一段階、今日これから健康診断に行って、明日は実家に戻って地元のお役所めぐり。いろいろもらってこなければいけない書類があります。

でもとりあえず第一段階がスムーズに行ったということ、一安心。 東京滞在はあと今日一日のみ、健康診断のあとは遊ぶぞー。


宇田多ヒカルの電撃入籍から一夜明けました。
どっかの掲示板で「いつまでもつと思う?」というトピが立ってた、、、そんな、失礼な。ま、19歳という若さと芸能人という職業柄、そういうイメージがあるのは否めませんが。

私が小学生のとき(学年は忘れた)、宇田多ヒカルの母・藤圭子が私の住んでた田舎の町に来たんだよね、コンサートで。会場は私が通ってた小学校の体育館。ゴザがしかれてて、観客の町民は圭子の夢は夜ひらくを体育座りで聞いてました。私もその中の一人でした。 いやー、あの人の娘サンがもう結婚!? 年月の経つのは早いねえ、年とるわけだよねえ、という小さい頃から知ってる近所の娘さんが結婚するときにでてきそうな言葉が頭の中をよぎりましたわ、昨夜。知り合いじゃないっつーの。年をとったのは認めるけど。

いよいよ明日のフライトで帰国。う、うれしすぎる。
Dの親友・M君が空港まで送ってくれるとのこと、うーん、感謝! しかし、到着する日曜の東京は天気予報によると雨らしい。雨の中のスーツケース持っての移動はうざったいぞー、、、。げんなり。

今日やること:
1) パッキング
2) visa申請書類最終チェック・again
3) 洗濯
4) M君に電話
5) 実家に電話

次の更新は日本からです。
昨夜、フルでみちゃったよ「American Idol」。アイドルになりたいアメリカの小僧・小娘たちのオーディション番組、日本の番組にたとえると「浅ヤン」ってところでしょうか。 

何が言いたいかっていうと、最後の二人まで残ってた男の子(Justinとかいったっけ?)の方がどーしても田原俊彦に見えるのですよ。大きい鼻と笑ったときの口の形。 あの手の顔ってアイドル顔なのですかね? 

で、今日は木曜日。
木曜日は気分がいい。 なんてったって週一のゴミがだせる日だから。 金曜が収集日なのですが前日の夕方から(早いお宅はお昼前から)市から配布されているでっかいTrash Binに入れて通りに出す。なので家の中に一番ゴミのない日が木曜日。すっきりした気分になれるのでした。

そして木曜は念入りお掃除day。基本的にキレイ好きな自分、掃き掃除はちょこちょこしてますが(うちは掃除機がないのだー。よかった、床がフローリングで、、、。)、家の中のゴミがなくなってスッキリついでに家中を念入りに掃き・拭き掃除。 終わった頃には汗だらだら、そして自分もシャワーを浴びてすっきり。

今日はそれに加えて近所のスーパーのシリアル特売に走ります。 今週末からの帰国で東京で会う友達に頼まれた「Honey Nut Cheerios」、タイムリーなことに昨日きた広告に「5for $10」とあるではないか。5箱で10ドルはいつもの半額以下、これはのがしちゃならん、と主婦根性満々です。あぁ、、、。

げっ........

2002年9月5日
あ”ーーーーーーーーーっ.........!

せっかく長文書いたのに指が滑ってどこかのキーを間違って押したら全部消えた。 

もうやる気なし。

はぁ、、、。


垢づくし

2002年9月4日
暑かった3連休終わり。

数日前から毎日ビザ申請書類の「最終チェック」を毎日やってる。すると、昨日は気付かなかった間違いに今日は気付いたりして。「念には念を入れよ」という諺ができた訳がよくわかった。

提出日前日までチェックはするつもりだけど、今日はこれから記入した書類を全部コピーしにいきます。控えとしてとっておかなくちゃ。

で、昨夜はDと「韓国垢すり」ナイト。
プランターにボランティアで生えてきた瓜がきゅうりかズッキーニかという賭けをし、結果はズッキーニ、そしてズッキーニを選んだDが景品の「垢すり一回」をゲットした(私がこする役)。

しかし昨日はわたしらの結婚1ヶ月記念日ということで、Dがお互いに垢すりあうことを提案、そして二人で長いけど浅くて幅の狭いバスタブに体育座りで浸かり(ほとんど下半身のみ)、汗がでてきたところで垢すりスタート。

Dには人生2度目の垢すり、でるわでるわdead skin。おでこからつま先までこすってもらってご満悦。

わたしはDに背中をこすってもらったけど、慣れてないせいか力のいれ加減が今ひとつ遠慮気味。でも自分では手が届かなかったところをこすってもらたのでスッキリ。

二人が洗い終わったあとのバスタブをみたら、垢だらけ(当然!)。なのでバスタブの垢すりもしました。

二人とも一皮むけて気分爽快。しかし、早く日本帰って温泉の広い洗い場で垢すりしたい欲が爆裂してます、今。

時間差攻撃

2002年9月2日
大分慣れたけど、、、、、というより"When in Rome, do as Roman do"、と思うと諦めがつく、といったほうが正しいかも。

日曜は夕方からDの親友・MくんとTさんカップルとでバーベキュー。 材料の下ごしらえして彼らの到着を待つ。予想どおり、彼らが言った時間より1.5時間遅く到着。 

彼らに限ったことではなく、この辺は友達呼んでのカジュアルな自宅パーティーは「開始時間」に来る人は稀で、だいたい2時間後ぐらいから集まりだす、という暗黙の習慣がある。 また、ホストする側も誰も時間どおりに来るとは思ってないので準備もゆっくり。

そういう文化なのだ、ここは、と自分に言い聞かせてはいるものの、○○時頃に着くよ〜、と言われるとそれまでに準備を済ませておきたいのが私の性格。

M・Tカップルの到着後、「どう?最近」とsocialize conversationが始まり、それが1.5時間続いた。 誰かが「じゃ、そろそろ、、、」と言ったので、ああ、やっとBBQ、、、と思ったらその後に続いた言葉は「ダーツでもしようか。」

そしてダーツをすること1時間ちょっと、私はその間パソコンで時間をつぶす。ダーツは人数が多いと余計時間がかかるので、時間短縮の為にちょっと反抗してみた。

やっとバーベキューコンロに火をつけたときはもう空は暗かった。夜のキャンプファイヤーを囲むようにバーベキュー、まあ、オツといえばオツだけど、外で焼くのは日が落ちる前にしたかったなあ、、、。

私の性格と文化、習慣の違い両方だと思う。
やらやきゃいけないことは先に済ませてからゆっくりするするほうが落ち着ける私は、(私が感じる限り)今できることも後にまわして先にのんびりしがちなここらへんの人々とは、物事の進行に時間差が生じる。

むこうからみると「なんでそんなにあくせくしているの?」なんだろうなあ。 

ここでは「後回し派」が圧倒的大多数をしめるので、この時間差からくるストレスを感じるのはいつも私、諦めたとはいっても、時々疲れるよ。
時々自分って根っからの百姓なんだな、って思う。夜どんなに遅く寝ても朝空が明るくなると目が覚めてしまうんです。

でも今朝は目覚めたのが10時、「おおっ、すごい」と感動していると、いつも8時前には朝ゴハンをもらっている猫の呼びかけるような鳴き声が、、、いつもと様子が違う、ゴハンが遅い、と思い不安になってたのでしょう。可愛いヤツ。

よく寝た割にはちょっと頭痛がした。 昨夜飲みすぎてはいないし、生理前・生理中の偏頭痛でもないし、風邪気味でもないし。 まあ、こんなときもあるか、と自然治癒を待つつもり。

昨日は私とDと、この日記経由で知り合ったEちゃんとその旦那さんのR君とご対面。この異国の地で知り合ったEちゃんとは同郷、これだけでもうれしくて心強いのになんと同じ高校出身だということが判明! 同じ手○山の校舎に通ってたなんて、、、この出会い、うれしすぎる(私のほうが卒業年度はかなり早いけど(汗))。

Eちゃんとローカル(今住んでるところ、そして出身地、両方)な話題で盛りあがり、3連休前の金曜の夜はふけてゆきました。 R君とあまり話さないうちに昨夜は終わってしまったけど、なかなかファンキーそう。また近いうちに会えること楽しみにしてます。 

今日はこれから重い腰をあげて、ビザ申請書類に添付するパスポートサイズの写真をとります。デジカメで撮って、デジタル画像編集ツールで編集し、写真用の紙にプリントアウト。自分達でできてしまう。 便利になったものだわ、世の中。

 


今日の日記

2002年8月31日
金曜日だー。

仕事してなくても週末ってやっぱりなんだか特別。
しかも月曜がlabor dayでお休みなので3連休。

帰国前の最後の週末、ビザ申請関係の書類の最終チェックで終わってしまいそうだけど。

これからCityまでお出かけです。

和製英語の逆襲

2002年8月30日
私には口にだして言う前に一瞬間をおいて心の中で確認してからでないと言えない英単語がいくつかあります。

その一つが「ソックス」。
日本語では「靴下」。それが片方だけでも両方揃ってても「靴下」で、その和製英語バージョンも片方だけでも両方揃ってても「ソックス」(って言うよね?)。

実際の英語では片方だけだったら「sock」で単数形、両方ペア(もしくはそれ以上の数)の複数形になって初めて「(a pair of) socks」、「sox」と綴ることもあるようです。

しかし「靴下」で検索すると「ソックス」という結果しかでてこないように超日本語データベース化された私の脳ミソ、だけど「英語では名詞の複数形は "s" をつける」とどこかにリマークされている脳ミソ。

なので油断していると(靴下はソックス、その複数形だから"s"をつけて)『ソックシィーズ(socksies, soxies)』と言ってしまうのです(旦那にはかなりウケました)。

「socks」という単語を使うときは、もうすでに"s"がついて複数形なんだ、と一度自分に言い聞かせることが必要なわたしです。
昨日はBARTにのってSFへ。
目的は美術館だったのだが、その前にあった用事が大幅に長引き、用事が終わって時計をみるともう3時過ぎ、そこから美術館までの移動時間を考えるとゆっくり鑑賞する時間は残らなそうだった(5時閉館)ので、美術館は諦めた。

そのかわりジャパセンの紀伊国屋による。欲しい本が2,3冊あったが、来月日本に帰ったときに定価で買えることを思い出し、立ち読みで我慢。

5時半頃にそろそろ帰ろうとBARTの駅に戻ってきたら自動改札に一本長蛇の列が。夕方の帰宅ラッシュの時間だった。東京のラッシュに比べたらかわいいもんだったけど。

会社が終わって帰宅・または夜の街にむかうサラリーマンやOLさんでにぎわうオフィス街の駅の風景、なんだかとっても「懐かしー」。数ヶ月前までは自分がその風景の一部だったのに。 

その風景から抜け出し客観視しているのはとっても不思議な感覚だった。「懐かしさ」のつぎにやってきたのは「焦り」。 みーんな前に進んでいるのに自分は立ち止まったままのような気がした。自分をおいて世の中はどんどん動いている、どーしよー、、、って。

早く仕事をゲットして社会復帰したい。。。という思いが一段と強くなった黄昏時だった。
日本にすむ外国人G君がちょっと前に自分のHPで言ってたこと;

「a shortcake in Japan is any slice of cake」

これみて「えっ?」と思ってしまった。日本でのショートケーキの概念もしくは定義って「スポンジケーキに生クリームを塗ったもの」だと思ってた、それがスライスされてようと、なかろうと。

G君に、日本でのショートケーキは「スポンジケーキに生クリームを塗ったもの」で、上にイチゴをのせるのが一般的。その場合は「イチゴのショートケーキ」と呼ぶ。 「any slice of cake」ではないと思うのだけど、、、とコメントしてみた。

G君は会社の日本人同僚に「a shortcake in Japan is any slice of cake」といわれ、そのあと5,6人の他の日本人同僚、友達に聞いても同じ回答だったので、間違いないという。

わたしは「じゃあ、チョコレートケーキもチーズケーキもスライスされたら「ショートケーキ」となってしまうんかい? 「チーズのショートケーキ」なんて誰も言わんよ」と返答。

今度はG君、googleで「ショートケーキ」と検索してみた。 検索結果のなかには「ショートケーキ」と題して自分の店のすべてのケーキの写真を載せてるケーキ屋が1,2件あったが、それ以外はみんな「スポンジケーキ+生クリーム+いちご」の写真であった。

これで彼は日本のショートケーキ=「スポンジケーキ+生クリーム+いちご」と納得してくれた。

でも実際どうなんだろう。この話が一段落して実は自信が無くなってきたのは私。

小さい頃を思い出した。 田舎の町のケーキ屋は種類も少なくみためも地味だったが、「スポンジケーキ+生クリーム+いちご」=「ショートケーキ」は定番でどこのケーキ屋にもあった。

これが転じて「ショートケーキ」が「ケーキ」全般の代名詞になっていたような気がする。チョコレートケーキであろうとチーズケーキであろうと、「ショートケーキ」と同じ冷蔵ショーケースにはいって見えるものはみんな「ショートケーキ」と、いっしょくたにして呼んでいたような。

だとしたらG君の同僚が「a shortcake in Japan is any slice of cake」といったのもうなずける。

「ショートケーキ」を説明してみてください、と街頭インタビュー兼市場調査してみたい気分です。

正夢

2002年8月27日
土曜の朝、イヤな夢で目がさめた。

私は今Dのいびきを避けるためにゲストルームで寝ている。

【以下夢の中】
誰かがうちに泊まりにきてゲストルームを使ったので、わたしはDを同じベッドで寝た。

そしてお約束のように彼のいびきで目が覚め、ゲストルームに移動して寝ようとしたら、そこには御泊り客がいて寝れない。 眠れるところがなくて自分は無茶苦茶怒りまくる。
【以上、夢終わり】

土曜の夜の10時半過ぎ、Oaklandに住むDの親友カップルM君とTさんがビデオを5本持って遊びにきた。 4人でビデオを見始めたが、わたしは最初の1本(Interview with Vanpire)の終わり頃で睡魔に負けて主寝室のベッドへ(M・Tカップルがゲストルームに泊まることを想定して)。

まもなくDも就寝。ベッドに入って数秒で早くもいびきが爆裂し始めたが、私は耳栓でその不快なサウンドをごまかしなんとか寝る。

しかしそのごまかしもやがて聞かなくなり、わたしはリビングのソファーベッドへ移動しようと(M・Tカップルはやはり泊まっていくことにしたらしいので、じゃあ彼らはゲストルームに寝ているだろうと思った)、リビングへ行ったら、、、誰か寝てる。

じゃゲストルームは、、、? ドアが閉まっているからこれも誰か寝ている。 

(朝になってわかったが)
Tさんが先に眠くなったのでゲストルームに寝て、M君はその後しばらく一人でビデオをみて、そのまま居間で寝たらしい。

他に寝るところが見つからず、すっげーむかついた。しょうがないからまたDの寝てるベッドに戻り、耳栓+布団を頭からかぶり相変わらず爆音をかましているDのいびきを遮断しようとしたが、布団の防音効果なんてたかが知れてる。

ついには自分の枕でDの顔をバフッと押さえたしまった(これはちょっと効果あり。30秒ぐらい静寂ができた。彼の脳が何が起こったのか判断するまでのホンのちょっとの間だけだが、、、)。

朝起きてその話をDにすると「正夢だったんだー」と大笑い。 笑い事じゃないんですけど、こっちは、、、。

まな板されどまな板

2002年8月26日
金曜の夜。
Dが何気なく言った一言で私が不機嫌になる。きっかけは「まな板」。

2,3ヶ月前、DとD.I.Yショップに行った時に木のまな板を購入。理由はうちの木目のキッチンカウンターに合いそうだったのと、お手ごろ価格だったから。とくにまな板がなくて困ってたわけではなし。

使い始めると「木」という素材からこの上で切るのは野菜類(植物性のもの)、肉類(動物性のもの)には前からあるプラスチックのまな板、と分けて使うようになりました。とくに二人の間で取り決めたわけではありませんが、Dもそうしているようでした。

(※ Dも料理します。料理好きです。が、わたしたちは一緒に料理はしないことにしています。 同じ物をつくるにしても二人のやり方が違ったりしてケンカになるのよ〜。やれ、みじん切りが大きすぎるだの、じゃがいもの皮の向く方向が違うだの。)

その夜、唐揚げにしようと鶏肉をプラスチックのまな板の上で切っているとDがキッチンに入ってきました。そしてプラスチックまな板の上の鶏肉をみるなり「へー、やり方知ってるんだ」と言ってくれました。

「へー、やり方知ってるんだ」。 字にすると表情がなくなってしまいますが、その言い方は「まな板を材料によって使い分けるなんて、君が気付くとは思っても見なかった」と聞こえました。

(私のことを「まな板を使い分けることを知らない気を遣えない女」だと思ってた、と聞こえたのではありません)まるで「まな板を使い分けるということに気遣いできるのは自分だけだと思ってたのに。 同じ事をできるヤツが他にいたなんて、、、ちきしょう」。つまり自分の方が「上」だと思ってたのに実は「同じ」だったとわかってショック、といったニュアンスです。

それにカチンときてしまいました。 「その言い方は人を見下しているように聞こえるんですけど」、とわたしは鶏肉を切ってた包丁と共にDの方に振り向きました。迫力あったと思います。

Dいわく、打ち合わせしてなくても自分と同じようにまな板を使い分けててくれたのが嬉しかったので、そう言った(「へー、やり方知ってるんだ」)とのこと。 たしかに、彼の性格からいって自分と同じやり方をしているのを見て嬉しくなった、というのはホントだと思うし、実際に口にだした言葉からとれた「嫌味」(少なくとも私にはそう聞こえた)は彼はまったく持ってなかったと思う。

しかーし、それならただ「あ、僕と同じくまな板使い分けてるー」といえばいいじゃないの、、、。「やり方知ってる」なんて、とてもカンジの悪い言い方だなあ、と思うのは私だけでしょうか。 

ま、そのあと前々から行きたかった市内で一番ふるいパブに連れてってもらい、久しぶりにBoddingtonsの生を飲んで機嫌を回復した私でした。

なんだか不公平。

2002年8月24日
この国の医療費は高い。

まずは健康保険が目と歯と体の3つに別れてるのに驚いた。わたしは今のところ配偶者として旦那の会社が加入している健康保険にはいらせてもらってるけど、それがカバーしてくれるのは「体」の部分のみ。

「歯」の保険に加入していない私たちは歯の治療は実費、Dは今歯医者通い、来週クラウンをいれて治療はおわりらしいが、クラウンに払うお金は$800 - $900とか。うーん、生活厳しくなるぞ、ここ1,2ヶ月は。来月は日本に帰るし。 

わたしも虫歯が一本、これは来月帰国ついでに日本で直します。実家の隣の歯医者で、まだ加入している町の国保で。

「目」は今のところ二人ともド近眼なことを除けは健康。コンタクトレンズを買うのに医師の処方箋がいるみたいだけど、これも帰国時に少なくとも一年分大量購入(使い捨てレンズ)してくる予定。

ここでは保険も国保や社保のように市町村や政府によって運営されている組合はなく、すべて民間の保険会社の健康保険。なので保険料が収入によって決まっている、本人負担額が2割とか3割と一定ということはない。保険会社が数種類のパッケージを用意してて、受けれる医療サービスの内容はパッケージの料金によって決まってる。 もちろん低価格の保険に加入すると受けれるサービスは少なく、高価格のに加入するほど多くなる。 また、実際の医療費の支払いも高価格な保険ほど保険会社負担分が多くなるようで。

と、昨夜Dがこの国の医療システムについて語ってくれてたところにスーちゃん(日本人)から電話が。

彼女は少し前に自転車で走行中に車に接触する事故にあった。道路に放り出されて体を打ちつけ、動けなかったので救急車を呼んで病院へ搬送された。

実際の怪我は打ち身と左肘、左足首の捻挫。病院での治療後すぐに自宅に帰ることができ、その後数週間・数回の治療でほぼ完治。

車の方に100%非があったので(弁護士経由で)この治療費プラス若干の慰謝料を加害者から取りたてる準備をしてるのだが、そこに一枚の請求書が送られてきたそう。

みたらなんと「救急車」の請求書。しかも$1,100。これも加害者に請求することができるらしいが、救急車呼ぶとお金がかかることにビックリして電話してた。 わたしもビックリした。そして、「アルアルちゃん、何があっても救急車は呼ばないほうがいいいよ。 タクシーでいきな、タクシーで。」とアドバイス。

Dいわく、この国では救急車サービスも民間の会社が経営してるとか。

医療の技術は最先端だけど、この国の医療費のシステムは、、、カンジわるー(-_-;;)。貧乏人は支払いのことを考えると予期せぬ病気や怪我もできないじゃん。。。

いかん、、、。

2002年8月23日
<いかん1>
どうもあの「瓜」はズッキーニのようだ。
昨日近くのNursery Shopいったらズッキーニときゅうりの苗が並んでた。それみたらうちのプランターに育ってるのはどうみてもズッキーニの葉と花。今日もう一度Nursery Shop行ってきゅうりの苗買ってきて植え替えてしまおうか。。。で、私が垢すりゲット。どうよ?(←卑怯よ)

<いかん2>
着々と太ってる。
昨日久しぶりにはいたジーンズ、キツイのなんのって、、、。洗い立てが少しキツイのはいつものこと、でも動いているうちに伸びて体になじむ。しかーし!昨日は待てど暮らせどなじまない。終いには息苦しくなって脱いだ。 
3月に発症した腰のヘルニアのおかげでジム通いをストップ。運動やめて同じだけ食べてたら太るよね、そりゃ。 そろそろ腰にやさしい運動から始めなきゃ。


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わたくし、アルアルはネーちゃんです!

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